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血液を調べる〔2/5〕
最終更新:19.3.11

血液を調べる〔2/5〕

赤血球の変化 その1
“きっかけ”
Observing Blood (2/5)
Metamorphosis of Red Corpuscles -Part 1 "Incentive"

血液を調べる〔1/5〕”の続き。
突起をもつ球体が何に由来しているかを確認した映像。
指先から血液を採取しサンプルに。観察開始から50分間の変化。



 「私の意志・意図にかかわらず、独自に活動する生物あるいは生命体が私の体内に存在している。それは何かの力に導かれているかのようだ。」──自分の赤血球の動く様子を見てそのように思った。
 これらの赤血球が細胞に分化する過程で生ずるDNA[注]はまぎれもなく私を構成するものである。つまり、この生命体は私の一部であり、また、私そのものでもある。
 私そのものであるにもかかわらず、私の肉体を離れてなお生き、私の生命を守ろうとして活動しているように見える。何かに導かれ、元来備わった能力によって働く。これは、私の意志によってコントロールされているものではない。
 赤血球は私の一部であったものであり、私とは違うものでありながら、それらとの総体として私はひとつのものであった。
 そのとき、私は「私という存在は神によって創られたものであり、神の力が働いている」と感じた。神と共に在る要素によって私はなりたっていたのであり、したがい、私とは、神の一部と言えるのではないか。

(注)千島学説に基づく


「病気」とは...

 生命活動を阻害する体内の物質、微生物、非物質的エネルギー等の解消の過程で、身体や精神に異変が生じ、生命維持のために身体が臨時態勢をとることがある。その一連の現象および経過が「病気」と呼ばれてきた一面がある。

 ところで、かつて、ある米国のコンタクティと宇宙人とのコンタクトで、宇宙人が病気について語る機会があった。以下は、かつて日本で和訳された公開文書からの引用である。

(1952年)8月25日
「火星の○○○です。はっきりさせておきたいことが少しあります。皆さんが疑問に思っていることです。皆さんは、私たちの医学はずいぶん進化していることだろうと思っていますが、それは違います。つまり、私たちには病気というものがないからです。肉体が病に冒されるのは、生き方が正しくないからです。
(中略)
 私たちは偉大な力を持っていますが、神の教えに従って生活していますから、他を攻撃、破壊するようなことはしません。地球人の態度はその逆です。なるほど、地球には教会もお寺も沢山ありますし、いかにも神を尊敬しているように見えます。しかし、その尊敬は言葉の上だけで、行為が伴いません。(後略)」

[注]この引用文の出典に関してはメールでお問い合わせください。

 正しい生き方とは何か。ひと言で言えるものではないが、現在の理解の範囲であえて言うなら、「神の御心に添い、自然・愛・調和・万物一体という宇宙エネルギーの基本・根本に違(たが)わず、真を尽くして生きること」ということになるか。これに背いた生き方をするとヒトは病気になる、ということになる。

 人は、本来、地球人としての進化を遂げるため、宇宙の法則、宇宙の摂理の中に在り、その中で必要なすべてを学べるようになっている。
 神は、たましいを、謎を持つ一つの個として、聖なる闇の中で生み出された。そして、その生きる器、たましいの宿る宮として、人類の個々の肉体を定められた。すなわち、地球人類の全存在の、それぞれのたましいの地球人として生きるにふさわしいボディと最も適切な席(=場)を、神は地球上にお定めになったということである。それは、地球にまつわる地のすべての神々と、生命をもった地上のあらゆる存在──動・植物をはじめ、微生物などにいたるあらゆる存在──の同意があってのことである。

 この地球にあっては、地を創る素である空(うつほ)、風、火、水の自然霊は天の神である。
 『古事記』によれば、国造りに際し、まず天津神(あまつかみ)のお働きがあり、地には、天意のままにお働きになられる幾多もの国津神(くにつかみ;地の神々)が在った。
 幾多もの地の神々は、精妙に整然とつながり、地のすべての事象としてお働きになっている。
 すなわち、地球のすべての生命、森羅万象は、地の神々のお働きの一部として在るものである。そして、私たち人類の肉体もまた、そのように存在し、機能している。
 宇宙創造神が創り賜うた我々の肉体は、神の御心のままに働き、また、地球上の万物と常に交信しながら生きるものである。

 人類以外の生物は天地の神々や自然霊に直結し、創造主の意(こころ)のままにある。しかし、人類はそうではない。人類は個を認識し、個を重んじ、個を愛する存在である。これは他の生物との大きな違いである。
 人は、人類の進化に必要な必然として、個と自由意志を与えられ、それに目覚めた。しかし、一方では、自我欲が芽生え、自己と他とを区別し、自己を利するようになった。そして、それもまた必然であった。それらは、過去の遊星から引き継がれたカルマが基礎にある。

 人の心は狡猾であり、身勝手であり、魂や自由意志を騙し、己を騙し、自我欲の思いのままに肉体を使えるものと思わせた。人々は、今ある肉体が自分のもの、自己の所有物であると考えた。
 人は肉体を我が物と思い込むと、欲を満たし、己を利するように使うようになった。人はそれを「個」のためと尊んだ。ここに根本的な間違いがあった。

 自由意志が与えられた人類の心は自我を起動し、自我欲に目覚めた。自我欲は我を主張して譲らず、己を守ろうとした。個は、自我欲の狡猾な心に従い、摂理を軽んじ、無視した。

 自我と個は違う。
 自我とは、自らが自らの個を他と区別したときに認識される。
 自我欲は、人類が自然を支配できるものと勘違いした。それは、創造神と天地の神々を軽んじ、無視することであった。
 地の神々の秩序・働きに添わない行いはカルマをつくる。
 天意のままにあれば正しく進化するはずであった人類は、自我欲を形にしていくことで、苦悩と悲しみのカルマをつくってきた。自我に執着した心で、思い、自我欲を形にするということはそういうことであった。人は、それらの苦悩や悲しみを解消しようとして焦り、さらに新たなカルマをつくり、積もり重なって、今日まで来た。ただし、これは、このたびの地球の真の進化のために、地球人類が避けて通るわけにはいかない必然でもあった。

 今日まで来て、どこに行き着いたか。それがまさに、福島原発のメルトダウンという、もはや手のつけようのない、究極の破壊の姿、破滅の道であった。
 今世界で起こっている諸事象は積もり重なり、闇に潜んでいたカルマの姿である。そして、それらがこれまでの常識では捉えられないものになってきていることに気づかされる。それらは我々の肉体にも現れる。この現象界において、カルマは、最後には必ず身体に現れ、病気や怪我としても認識される。それはまた、地の神々、また、地球という生命体の声でもある。
 病気とはそのような苦痛を伴う諸現象であり、カルマは地球上のすべての人々が必ず身体で受けるものである。人の心と身体は病み、地上全体が病み、地球そのものも病んだ。
 今、地球は、地球と全生命の進化を完遂するための最終段階に到達しており、すべてのカルマが解ける——解いていただける——その時に向かっている。だが、それを通過しないと、地球と人類の進化はない。それができた結果として、この地球は、本来のプログラムによる進化の完成を迎えることができる。そして、進化した新たな世をどのように創るかは、現在の人類、人類の自由意志にかかっている。

 すべてのカルマが解けることとは、すべての相通じあうカルマが1滴残らず出し尽くされ、地球や地の神々とともに人類が身に受け、経験され、認識されることである。それは、過去から受け継がれてきている地球へのいっさいの思いを完全に断つこととでもある。
 その遊星のカルマは、全人類が個々に受けるものの総体として「一つ」のものであり、それを産み出したその星の住人、全人類によって解かれなければならない──それが宇宙の原理原則である。
 病気やケガは、カルマの帰結として人の肉体に現れる現象のひとつであり、往々にしてカルマを解くための重要で避けられない手順でもある。そして、人は、病気という苦悩、苦痛に耐えることを通じて、己の間違いに気づくこともあれば、人の愛、さらに究極的に深遠なるものに触れることもあるのだろう。

 肉体はけっして個人の私利私欲、勝手な思いで使うものではない。人の身体は地の神々の一部として機能しており、それが地球全体を構成している。
 肉体は、魂の学びの場としてのかけがえのない命の宿、神からの預かりものである。そして、血液はその最も重要な要素の一つであり、生命の本質である。それは地の神々の働きの一部として休まず活動し、私共の学びの場である肉体を、常に天意に添う生命の場として、維持しようとしている。——それをこのたび、私は強く感じた。

掲載:2010/04/17
改訂: 2019/03/10
矢部完, Mamoru Yabe

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