血液を調べる〔3/5〕
最終更新:19.5.14

血液を調べる〔3/5〕

赤血球の変化 その2
“結集”
Observing Blood (3)
Metamorphosis of Red Corpuscles -Part 2 "Gathering together"

血液を調べる〔2/5〕の続き。
観察開始50分後からの約6分間の内容を編集。

 最初、ほとんどが扁平な赤血球だったのが、多くが突起を生じた球体に変身した。
 次に、それらは互いにぴったり身を寄せ合いながら集合し、モザイク画を構成するかのように変形し始めた。それらは置かれている状況を完全に認識し、どうすべきかを理解しているようだった。
 赤血球独自の動きでありながら何かの力に導かれている、そのような印象を受けた。
 そして、そこに「摂理」が感じられる。




「摂理」について

「摂理」とは、辞書等には次のようにある。

  • キリスト教で絶対者たる神が、世界のあらゆる現象を支配すること。(『新潮国語辞典』より)
  • 神が究極因としてだけではなく動力因としても,世界全体と個々の存在,特に個々の人間の出来事に介入してこれらを神自身のほうに効果的に導くこと。プラトンの『法律』、ストア派の pronoia (摂理) にすでに神的摂理観がみえるが,明確にはキリスト教神学で立てられた。(『ブリタニカ国際大百科事典』より)

 このような、神による「支配」や「介入」というのは、私には少し違和感がある。本来、神は人の心や自由意志を「支配」したり、「介入」するものではない。
 私の思う「摂理」とは、「宇宙創造主によって創造された進化のための整然とした法則と秩序、また、その進化のためのプログラム、または、宇宙創造主の御心に沿う、正しい手順」というようなものである。
 神が現象に対して「支配的」であるとか、個に「介入」するというのは、あるひとつの、古い見方、表現の仕方であろう。
 元来、神は人の自由意志を尊重するものである。なぜなら、他者に「介入」しないのは宇宙の原則であり、地球の真の進化のためには、人類の自由意志が必要不可欠だからである。


 進化について

 旧来の進化の考え方と、現在最も重要な、遊星地球の真の進化について整理する。

 人々は、いつからか「進化」──すなわち、生物の「進化」を証明することと、また、人類としての自らが「進化」すること──を求めて生きてきた。
 地球上での有史以来、紀元前から「進化」への認識はあったとされ、その後、ダーウィンに始まるように生物学的、あるいは自然科学的な見地から進化が多く論じられるようになり、さらには宗教からの乖離が主張されるようになった。
 一方、人類の精神面の進化も論じられてきた。それは、個人の内面性という観点であったり、社会活動や文化という観点、また、心理学、その他、様々な人文系の学問といった方面であったりした。しかし、これらはすべて、地球の現象界おいてという一定の枠、閉じられた条件の中でのことである。

 どの遊星においても同様だが、閉じられた(限られた)条件の世界では必ず進化の限界を迎える。それは、全生命の生きる場である遊星そのものの限界であり、畢竟、そこに住む人類の進化の限界である。そしてこれは「遊星の大周期の終わり」と呼ばれている。遊星「地球」は、今、まさにこの「大周期の終わり」に直面しているのである。
 この「大周期の終わり」が正しく終えられれば──すなわち、その遊星での学びを正しく卒業できれば──、地球というひとつの「場」の過去はすべて解体されて「0」(ゼロ)に帰し、旧い過去をまったく引きずらない、次の学びのステージとしての新たな場(遊星)が用意される。すなわち、地球および地球上の全生命が新たに生まれ変わるのである。ひとつの遊星における進化とは、まさにこの地球および地球上の全生命が新たに生まれ変わることをいう。これを機に、地球の閉じられた条件を超えて、魂が進化するとされる。ただし、そのための必要不可欠の要素として、人類が欲や悪とともに積み重ねてきたカルマが人類自身によって解消されなければならない。
 地球大周期の終わりを迎える進化には、人類の自由意志が必要である。すなわち、人類が自らの自由な意志で、人類の総意として真の進化を認識し、選択し、創造しようとしないと、真の進化は得られない。
 地球の場合、じつは過去に大周期の終わりを6度経験していた。しかし、毎回、人類はこれを正しく終えることができず、すべて失敗に終わってしまった。そのため、地球という遊星が新たに造り直されても、過去のカルマは解消されきらず、次の地球に持ち越された。その、持ち越された過去のカルマが新生地球のスタート地点となってしまったのである。そこに真の進化がありえないのは自明のことであった。
 今回は7度目の大周期の終わりである。ここでは詳細には触れられないが、じつは、今回はすでに大周期を正しく終えられており、新たな地球を人類の手で創りあげていく道は今やすでに開かれている。真の進化は現象界に現れてきており、最終過程として、今、過去において闇に葬られてきたものも含め、カルマがものすごい勢いで自然現象にも人事にも表出してきている。その最たるものが東北大震災と福島の原子炉の破壊・メルトダウンであった。そして、これこそが「終わりの始まり」だったのである。

 人は、閉じられた条件、また、築かれてきた常識を超えて、未知の事象について論じ、理解するのはたやすくない。その意味で私はまったくの無知である。しかし、無知を承知の上であえてここに記すなら、この地球大周期の終わりに遭遇した今の地球が迎えている宇宙的な大変化こそが、地球とそこに住まうすべての生命の、今回の真の進化である。そして、それを最終的に行うことができるのが宇宙創造主である。


 真の進化と神について

 神が我々人類の魂に対してなさることは、魂をお作りになり、その席(場)を設けられることである。
 神は生きようとして求める者すべてを真の進化へと、根源的な、無条件の、絶対的愛をもって導く。それは、地球の歴史の中で語られる支配とか介入とはまったく異なる波動である。この進化の中にこそ宇宙全生命の存在と真実がある。

 大周期を迎えた地球の進化の最終ステップでは、進化を進める神の御心に沿うことが不可欠となる。そして、それのみが真の進化を成就する道である。それはすなわち、苦悩を超えて、自由意志として、神に身も心も魂もゆだねるということである。それが、神の大愛の中で神とともに進化の歓びを共にすることである。その根拠を以下の通りである。

 人類のカルマのうち、最重要であり、また他と性質を異にする問題に原子力がある。
 なぜ原子力が他と状況が異なるのか。
 通常、カルマは地球という遊星、その閉じられた環境条件の中で解決されうるものである。しかし、原子力は、地球以外の天体ともつながる性質を持っており、地球を超えて、宇宙全体に影響を及ぼす。
 原子のひとひとつには幾多もの生命が生活をしている。それは、地球や他の遊星・衛星に幾多もの生命が生活しているのと同様である。原子と宇宙は入れ子構造になっており、精妙につながり合い、全体が一つとなっている。
 核反応というのは、それを創造された神以外の存在が、その力もないのにそれを操作すれば、そこに生活する幾多もの生命、そして、そこにつながる全宇宙の魂と生活の場を破壊する。それは言い換えれば、人類による「核操作」それ自体が、宇宙レベルの無限の大量殺戮となる。──これこそが全人類が認識すべき事実である。「核」は単に放射能の恐怖にとどまる問題ではなかったのだ。
 東北大震災での福島原発のメルトダウンは人類の行き詰まりがあらわとなった象徴的な出来事であり、もはや何の手だてもない。地球レベルでの解決の糸口どころか、他の遊星人によって解決されるものでもない。これを行えるのはただただそれを造られた創造神のみである。
 人類は、科学による「人類の進化」をお題目に据え、心の欲するままにこの悪魔の力を手に入れ、核兵器の原料製造のために原子力発電を行い、核の平和利用と吹聴した。人類は神の領域を侵し、手の施しようのない破滅の道に至ったのである。人類は、愚かにも、摂理を踏み外し、誤ったのである。

 さて、原子──地球における理解に基づく、物質の組成としての原子──を操作できるのは創造主のみであると述べた。
 今回の地球(を含む宇宙)の進化は核の編成を伴うとされている。したがって、今回の地球の進化における最終プロセスの際には、神の御業は地球の全生命に対するある種の「強制」として働く面をもつ。それは進化のための必須条件であり、それなくして、全生命の実体と存続はない。
 この「ある種の強制」は、神の、全人類と全生命に対する大愛の中で行われる。
 人類の苦悩や苦痛は、神に従わせるために神が人類に与えるものではない。それは、人類が自らの自我より発したカルマによって作り出してしまったものであり、神自らも同じ苦悩や苦痛として受けておられる。
 宇宙は創造主により作られたものである。すべては創造主の一部として在り、創造主と無関係なものは何一つない。全人類の「個」もまたしかり。
 宇宙には、人智では計りきれない進化の道筋があり、すべての生命は正しい進化の途をたどることのできる可能性の中に存在している。神はそのような場──すべての存在が学びを全うできる場──を、すべての生命に対して用意され、すべての魂を適所に配置してくださっていた。

 人は、真実を生きようとして、必ず、個としての苦悩や煩悶を味わい、いったんは神にほど遠いところにいる自分を痛感し、そして、神を求めてやまなくなる。
 神は、カルマを解こうとする(=受けようとする)者の個の闇の先、闇の奥の無波動の部屋にあり、おのれの思いとして語りかける。その思いこそが導きとなる。そのような仕組みがこの宇宙にはある。この、神によって用意された精妙な法則が「摂理」であり、その中に、人類の自由意志に基づく進化のシナリオ、あるいは、進化のシステム、緻密で完璧なプロクグラムもある。
 「摂理」は、天の意を受けて地の神々により機能している「自然」の中に読み解くことができる。そして、人類もまたそのような自然の構成員でもある。
 肉体は完全に自然と直結しているもので、虚心であれば、直感的に、自然の神性や様々な息吹、もしくは、様々なバイブレーションの心(宇宙的存在も含む)を捉えることができる。
 私が言葉にした「自然の摂理」とは、おおよそそのような意味合いであると思う。

 自然とは、愛、調和、万物一体と並び、宇宙を動かす波動のひとつである。
 地の神々は自然の構成者として、整然と、精妙に結びつきあい、一つの無駄もなく機能している。そのシステムの一部分、または一面が「科学」と呼ばれてきた。
 人類は、自然の一部として生かされる。その全体を、もちろん人類は理解しきれない。ただただ、我が身の肉体は、全体とともに、全体と一体のものとして機能している。
 地球のすべての生命は、地の神々とともにある。人類もまた……。

 神(宇宙創造神)は人類のカルマに介入することはない。介入はしないが、痛みは神自身のものでもある。そこに神の涙がある。

 地の神々は地球とともにある。そして、今、地球という星とともに、新たに自らを生み出すという難しい作業に取り組みながら、進化を成し遂げつつある。
 この星そのものが進化する一環として、古いカルマはすべて、肉体とともに、解けてなくなることになった……それまであともう一息である。
 闇に葬られてきたカルマは、過去の幻影として何もかもが噴出し、現象界に満ちあふれる。それが浄化であり、まさに、真の進化のプロセスである。そして、これもまた「摂理」である。

 今回の地球では、神による最後のプロセスに向けての神々のセレモニーが行われ、地球人類の参加が正しく実現されたことにより、セレモニーは成就した。あとはすべての存在が地球を離れる(=全カルマが解かれる)その時、それが一番最後のセレモニーとなる。
 そして、地球の新たな世を開始するまでの、カルマを含めた万物すべての要素による神のプログラム──それもまた「摂理」である。

 病気は、生命維持の限界(=肉体の死)を予感するためのシグナルになることが多い。そして、そこから、生命のための真の心身の闘いも始まる。
 病気とはまた、何が自然の摂理に反していたかを認識するための学びの場、気づきのチャンスの場である。人は肉体に虚心に問いかける。すると、苦悩の肉体の鼓動の奥から、自らの思いであるかのように、かすかに聞こえてくるものがある。あるとき、神の声はそのように魂に語りかけてくる。

 自然の摂理とは何か? それはひと言で言えるものではないし、その全貌を理解できるものではない。もしできるとしたら、ほんの片鱗、わずかな断片、ごく小さな一場面なのだろう。それでも、真の摂理に触れることができ、物事の真実すなわち創造主の こころ を発見できたなら、そこが自然の摂理への入口になる。
 今回の映像の内容は血液であり、赤血球である。赤血球もまた自然の摂理にしたがって生きる存在である。その世界を垣間見て、筆者は、今まで知り得なかった真実に触れた。そうして、自然の摂理へのひとつの入口が開かれた。そして、私がそう考えるに至ったきっかけが「モルゲロン病 (Morgellons Disease)」であった。

撮影:2008/05/03
初稿:2010/04/25
改訂: 2019/03/10
矢部完 Mamoru Yabe

Page Top

Infogreen HOME

Copyright Infogreen since 1999. All rights reserved.