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2014.1.5

新たな世

 河口湖北西部の湖北ビューラインには真南に富士山が見える場所がある。ここでの風景には人造物も少ない。
 正月2日、河口浅間神社に参詣するため、北岸を車で走った。天空に雲はなく、ただただ陽の光が降り注ぎ、湖面は光り、かつ、 静謐 せいひつ であった。
 この富士の光景は太古より同じように人々が見てきたものであったろうとは思うが、このときは富士山が、なぜか、すでに無きものとしての、ある時点での過去の姿として印象づけられた。
 空に溶け込むような色合いであるとか、かすんでいるからとか、そういうことではない。眼に映る形の現象界での姿は優美であり、力強くもある。しかし、心の奥に映じているこの富士は、地球の進化のための最終過程としてその身体が滅び、人々の感謝の中に溶け込みながら、生まれ変わりのために無に帰す、地の神そのものである。
 新しき世界は、眼や五感では容易にはとらえられないところですでにその営みが行われつつあり、この現象界の最終プロセス(それは全カルマが一体となって解かれること、すなわち、カルマが一滴残らず現れ尽くすこと)が残されているだけとなっている。すなわち、眼前の富士がすでに無きものとして眼に映るそのことこそが、この最終プロセスの現象界にあって、新しき世界として捉えられることである。
 新たな世は、いかなる過去の眼によっても捉えがたい。これから後に我々が体得するカルマのすべてを、過去の眼ではなく、無の眼によって受け止めること、そして、あらゆる場面、あらゆる人々のその奥の奥の奥にかすかにある脈動──無条件にぬくもりのある鼓動──に至ること、そのことが、新たな世を感知するための、時空に打たれたくさびとなり、新たな世を我々の手で築いてゆくための種子となるのだろう。
 富士を「ある時点での過去の姿」としたが、その「ある時点」とは。
 ──それは、言うまでもなく、宇宙創造主の 御心 みこころ により、天空が 数多 あまた の光で覆われ、我々すべての生き物がひとり残らず、ひとつ残らず、光体となって昇りゆくその時である。そして、その時はもはや、そう遠くはないだろう。

矢部 完

撮影 2014.1.2 河口湖北岸

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